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旅行に行く前に、岡本太郎に会いに行こう。
と思っていて、まだ蝉がみんみん鳴いている生田緑地を抜け、
岡本太郎美術館へ行ってきた。
今やっている常設展もとても素晴らしかった。
印刷では絶対に表現出来ない色がそこにあって、
その色に私は吸い込まれそうになりながら絵の前に立ち尽くす。
『樹人』という題名の絵のピンクがとても印象的だった。
『哄笑』の前では、涙が出そうだった。
絵から発せられる、線と色のパワーが魂の奥までびしびしと伝わってきた。
前にも観たけど、岡本太郎の映像をじっくりと観た。
やはり岡本太郎は、私の中に生きているなあと再確認。
付け加えるなら、
みんなの中にも、生きている。
それが、岡本太郎。
企画展も良かったけど、ゆっくり観る時間がなかった。
アマゾンの映像が素晴らしくって、ゆっくり観たかったなあ。
あの部屋にいるだけで、アマゾンの風を感じられそうだった。
そんなわけで、あっという間に、閉館時間になってしまった。
閉館時間ギリギリに、『対談集 岡本太郎 発言!』を購入。
そう言えば、あまり対談集を読んでいなかったので、とても面白い。
変わっている所では、ムツゴロウさんとの対話や、ユーミンとの対話が面白かった。
(ムツゴロウさんはやっぱり超越してる素晴らしさで、ついついにやりと笑ってしまった)
帰宅途中、
母から電話が。
花屋さんにいたのに、話の内容は濃くなるばかりで終わらなくなる。
そのまま、電池が切れるまで、寄ろうと思っていたスーパーの近くで長話。
腕と耳の骨が痛くなった。(笑)
私たち家族に共通してある性格の
長所でもあり欠点でもある部分について話し合う。
とても深い話だった。
それぞれがそれぞれの日常の中で出会う個々のダイナミズムの中で、
普遍を感じた。
いい気持ちになる出会い、悪い気持ちになる出会い、
どんな状況下でも、人と出会って行くからこそ、
成長できる。
この宇宙に比べたら、歴史も浅く、小さな人間である、私たち。
本当に、人の悪口をとやかく言ったり、決めつけたりしている場合じゃない。
そんな醜い人間であるのは、哀しすぎると思うのです。
つまらない。
もっともっと、耳をすまし、耳を傾け、
その中にある、
本当に美しいものを目撃する方が、魂は輝く。
おもしろい。
それに、
人の事をあれこれ言っている時間は本当はない筈だ。
もっと個人の中にある深い闇をも見つめ、
全体を見つめた時に、
この世界には、
もっともっと、緊急に考えなければいけない事が沢山ある。
今の世の中、
足りない事のひとつに、
“聞く”ということがあるように思う。
素通りさせて聞くのではなく、しっかりと対峙して人の話を聞く事。
それは、おもいやりや愛に繋がるのではないでしょうか。
多くの犯罪は、この聞いてもらう機会がなかったために起きたのじゃないかなあと思うのです。
聞ける環境
話せる環境
真剣にぶつかりあえる環境
それらを今の日常に、
意識的に作って行くだけで
ぐっと状況は良くなって行くのじゃないだろうか
吉本隆明さんが、『真贋』のなかで、書くことで、解放され、
読者に同じ開放感を与えられたらいいなと思って作品を書く人というのは、
子どものときあまり幸福でなかった人が多いのではないでしょうか。
というようなことを書いてらした。
本当に幼い頃の、無意識な部分に受けた影響。
そんなものが私にもあったのだろうかと気になっていた。
私が何故こんなにも書きたいと思うのかが、ずっと気になっていた。
母は、私は本当にそう言う意味では、悩みはなかったと言っていた。
幸せに、無我夢中で子育てをしていたと言っていた。
ただ、母乳が上手く飲ませられなかった事が唯一の哀しみだったと。
私は、姪のはっちゃんを見ていて、
あかちゃんには、繊細な感受性があることが見えたような気がしている。
そして、その度合いは個々で違う思った。
私は、もしかしたらそういう気持ちの変化に敏感な赤ん坊だったのかもしれない。
でも、私が色々な事を考えながら成長できたのは、
様々な世間とのズレや距離を感じ、葛藤したとき、
いつも母が、本気で一緒に議論を繰り広げてくれたからだろうと、
今までそれが当たり前のように在ったから、
うっかり見過ごしていたとても大きな事だったなあと気がつい。
そのやり取りの中で、私は多くを学んできたのだなあと、
改めて実感した。
私のは母は、
ちょっと眺めただけでは感じる事の出来ない
大きなパワーを持っている。
本人すら気がついていない。
普通の人のような欲が、若い頃の私にはイライラするくらいなく、
惜しみなく、与え続けている人生のように思う。
田舎の、工場でよなよな働きつづける母。
そこで次々出会う人たちは、見事に根強い問題を抱えている人が多く、
私なら逃げ出したくなるのにと、何度も不思議に思った。
母は、工場に勤めていたのではなくて、
もう本当の意味でドロドロの俗世に入って、
その場所で与え続けていたのだなあという事に最近気がついた。
そして、母自身も、かけがえのない修行をさせてもらっていた。
それは、本当に凄い事だと思うのだ。
絶対に、私ならそこで働いたならば、不満ばかり漏らし、
数日しか持たないだろうに、
母は、仕事が嫌だとか思った事はない筈だ。
主婦もやりながらだから、寝る暇もあまりないのに、
何故続いてきたのかは、本当に凄いとしか言いようがない。
つえ〜〜!と、本気で思った。
私の経験した様々な困難や喜びの経験と、
様々な分野の本や、言葉、芸術に寄って培ってきたものを
総動員しても、母の大きさにはまだまだ及ばない部分が沢山ある。
でも、議論を交わせる人がいると言うのは、本当に幸せな事だと感謝している。
本当は、こういう議論は、
様々な人とするべきだと思うなあと思う。
くだらない事だっていい。
日々の、ちょっとした疑問や葛藤を感じて考え、
それを聞いてもらったり
聞くこと
そして、思っているものをぶつけあうこと
そう言うこと。
学生の頃はそんなのよくあった事だろう。
疑問がいっぱい生まれて、爆発させるのが自然だったから。
大人になる事は、
そういうことがしづらくなる事であるのは哀しい。
大人こそ、
「こんな事今更言ったら馬鹿にされるかな」
なんて、変な計算などしないで、
率直な意見を交換させて行くべきなのだ。
本当に、それが凄く足りない世の中だと思う。
文明の発展ばかりに夢中になっている場合ではない。
本当にそう思う。
コンピューターや便利な機械の支配下になってから、
それに甘んじてきている世界は、何もかも退化させて行っている。
新しい文明に、人間がボロボロになってしまう前に
危機に気がついて行かなければ。
便利なものが中心になって光を浴びているけど、
そもそもそんなところに疑問を持って、
対峙して行かなければ、人間は滅びる。
疑問を持つこと
考えること
それを続けていこう
無常だから、
いつかは、全てが滅びるのは避けられないけれど、
その滅びる時に
淀んだ暗黒の星にならないよう
太陽さえも凌駕する星になれるよう
そんな遠い未来には、
私たちはいないからと、
無責任に生きて行く事は、
今この瞬間にすら、生きていない事だ。
追記:
ブログの題名を、以前のような形に戻しました。
人生の中で、感動する瞬間は、いつもふいに訪れる。
感動の中でも、「共鳴」は、例えj実際に会ったことのない人であっても、
それは出会いだと思う。
そんな風にして、幼い頃から、色々な作家と出会い、
繋がって来た。
好きな作家や、ミュージシャンや写真家などが、
強くお互いに共鳴していることを、
本や作品などで知ると、
凄く嬉しい発見をしたような気持ちになる反面、
とても自然に、
世界が繋がって行くような気がする。
どうしたって共鳴出来ない人ばかりと時を過ごさなければ行けない時
例えばそこが、とても強く黒い色で覆われている場合、
うっかりその暗さに光が見えなくなりそうな、
きわめて辛い時がある。
そんな時でも、
芸術は、いとも簡単に
私の心をすくいあげてくれる。
そうやって、今まで何度、
助けられてきたことだろう。
大人になっても
新しい発見と出会いは
終わらない。
沢山知識があって、沢山経験しているほど
新しい出会いがなくなるなんて事は
決してないのだろう。
不思議だけれど。
最近、
時々、茂木健一郎さんの
『クオリア日記』を読んでいる。
久しぶりにページを開くと、
一気に読んでいなかった部分を読んでいる。
そこには、毎回、
爽やかで鮮やかな共鳴があって
驚かされている。
そして、喜び、感動している。
そういえば。
前に、同じ日に、
同じようなジャンルについて書き、
ブログをUPしていたことああって、
ちょっとビックリして嬉しかったこともあった。
そして、
今日久々に開いたら、
文章の最後に、
風さえ吹いていれば、
世界は気持ちが良い。
って書いてあって、
これにはもう、
もの凄く感動して、何度もその2行を見つめてしまった。
私も、心から同じように思っているから。
どんなに辛いなあとか、苦しいなあとか、
淋しいなあって思った時でも、
立ち上がれないくらい絶望していても、
ある瞬間に、
風にビューッと吹いて、
私の身体をすり抜けて行くと、
生まれてきてよかったって心から思うのだ。
これは、今まで何度も感じてきたことだ。
絵本のあとがきにも、さらっと書いたかもしれないけど。
私は、風がとても好き。
だから、この言葉に本当に共鳴した。
茂木さんが
とっても好きだなあって
直感的に感じていたのは、
きっとこういう根源的な部分が
共鳴していたからなのだろうなあ。
あんなに知識や経験が豊富にあって、
とっても偉い人なのに、
茂木さんの書いたものを読むと
いつも、もの凄くシンプルなところまで
引き戻してもらっている
例えば、
神経が高ぶって疲れていたとしても、
柔らかい気持ちに包まれ
笑みがこぼれる。
不思議だなあ。
って、茂木さんのことを書いていたら
ついつい
改行を沢山してしまった。
ま、いっか。
うふふ。
よい夜を。
Love.
Ryoco
新宿を歩いていて、なんとな〜く気になっていた文字。
思わぬところで、その文字の裏側を知って、感動してしまったので、初めてYouTubeからupしてみる。
密かに、この文字が気になっていた人が沢山(?)いたんだなあ〜っていうのもこの映像を見ると分かる。
こうやって、この作者を見つけてインタビューをしたなんて、凄く面白い。
確かに、凄い仕事ぶりだものね。
そんでもって、インタビューを聞いたら、めっちゃ面白かった。
警備員さんだった人が、無償でこんな素敵な文字とか線を描いて(しかもガムテープ!)、こんな役に立つなんて。これこそ、芸術だわ〜!って思って嬉しくなっちゃった。
だって、こんな文字、情熱や好きだって言う心がないとできなもの。
大衆の目に触れる公共の場所だって言うのがいいし、こんなにこだわって作った文字も、いつかは完全に消えてしまうっていうのもなんだか心打たれる。
私、表稼業(?)では文字を扱ってるので、何だか妙に感動してしまいました。
というわけで、そうとうおすすめなレアなインタビュー。
思う存分楽しんでくださいませ。
いやあ〜、好きなことって、どんな経路を辿って人の心に届くか分からないんだなあ。
本当に面白くって感動しちゃったわ!
今週の『時効警察』・・・
見る気満々で、普段はあまりTVをみないくせに、しっかりTVの前に陣取っていた私。
今週は、食べること、寝ること・・・とか、メンテナンス的な生活をしていたら、体調もちょっと復活して、気分もいい感じに盛り上がって来たし、今日は笑
うぞ〜ってウキウキしながら、あと数分で始まるだろう番組を楽しみにしていたのに、気がついたら眠っていました・・・最悪です。
一体、どうしちゃったのでしょう?(もう、ず〜っと見逃しています!)
恐るべし、金曜日!
そんな金曜日、飲みに行きませんか?って誘われていたけれど、どうしても散髪に行きたかったので、予約してあった初めてのサロンへ。
Mieが長い間通っている、噂もよく聞いていた美容師さんに切ってもらいました。
私がいつも行っている美容室には申し訳ないなあって思ったんだけど、たまにこういう思いつきで行動する自由さや、気分転換もいいものです。
切っている間中、何故か私の話は殆ど聞かれる事なく、ほぼ大半はMieの話ばっかりだった。そうとう色々話していて気が合っている間柄なんだろうなって 言うのが垣間みれて可笑しかった。初めて合う人だけど、よく知っている共通の人がいて、その話題で盛り上がるって不思議な感じですよねえ。初対面なのに、 とっても親近感が沸くんだもの。
彼は、某有名人を散髪しているだけあって、ばっさり切ったのだけど、はさみに迷いが見られず、且つ仕事が丁寧というか、仕上げの時の目線というか、本人も直感でやっているのかもしれない、感覚的な部分がとっても好感の持てる人だった。
ただ、シャンプー台の位置が高かったのですが、それはきっとお客さんの負担を無くそうと思ってそういう設計になっているのかも知れないれど、私にとっては、ちょっと肩に負担がかかり過ぎてかえって疲れてしまったのが、ちょっと辛いところでした。
彼は、Mieのことを「本当に、変わっている人ですよね〜」って楽しそうに話していたんだけど、そういう彼自身もそうとう面白い人。って言うことを本人は気がついているのだろうか・・・多分気がついていないかもしれない。
お客さんである私が逆にしっかりしちゃって、彼にインタビューしたりとか、そんな風に立場が逆転する場面もあったりとか、私的には若干接客している気分でもあったり。
なんでやねん!
でも、そのバランスが嫌に思えなくって楽しかった。(笑)
というわけで、ばっさりいったので、すっきりしました〜
やっぱりショートは自分的に明るい気持ちになれるし、何よりも楽でいいなって思います。
そうそう。
白髪の話をしていたんだけど、彼いわく、白髪になった方がいいんですって。抜けちゃうよりも。
あと、健康な頭皮は白いものだそうです。
私の頭皮も概ね白いから大丈夫って言われたけど、所々がオレンジって言われた。。駄目じゃない。。
やっぱり、血行が悪いのかなあ。
頭皮の健康なんて、てっきりおっさんの問題かと思っていたけど、そんなことは決してないのね〜なんて、今更のようにひしひし感じてる私。
さて。
今日は、起きてから、ずっと『人志松本のすべらない話9』を見て、涙を流すほど大爆笑していました。その後、続けて『ガキの使い』をみたりして、それはもう本当に腹筋をよく使いました。
面白すぎるわ〜素晴らしすぎる。
そして、歩いて渋谷まで出た。人混みに行くのは嫌だったけど、今日はよく晴れていてい気持ちのいい日だった。それから、電車に乗って中目黒へ。
駅を出たら、貸してくれるキーボードの足を、自転車で担ぎながらやって来てくれたクミちゃんが待っていてくれて、川沿いのHUITっていう有名なヌフカフェとかの系列のお店に連れて行ってくれました。
とっても気持ちのいい空間でした。
入るとすぐに、美味しそうなパン!パン好きの私たちのテンションをあげてくれました。
帰り際に、買って帰ったのだけど、とっても美味しかった。特に何種類かのチーズが入っているパンが、私の大好きなブルーチーズがたっぷり使われていて、最高でした。
本日のプレートを注文したのだけど、どことなく母の味に近くって、懐かしくって美味しかった。お店はとっても混んでいたけれど、ゆ〜っくり過ごすことが出来て、2時くらいに入ったのに、気がついたら4時半くらいになっていた。
フレンチだったから、私たちもフレンチモードってことで許してくださいね。
帰り際に、その美味しそうなパンを買っていこうと思い、入口にパンがあるものだからその辺りをうろうろしていたら、従業員の邪魔だったみたいで、ちょっと注意されちゃったけど。そんなこんなやっていたら、何だか見たことあるCOOLな写真が冷蔵庫の横に・・・
これは、もしかしてもしかするとAアニキのじゃないかしらん!?って思って、早速電話で聞いてみちゃった。そしたら、やっぱりアニキの写真だった!ブラボ〜
奥にもアニキの写真が数枚飾ってあるそうです。中目黒界隈の方、もしくはレジャーで訪れた方、とってもCOOLな写真なので、行く機会があったら是非チェックしてみてくださいね。
さて。私とクミちゃんが凄いのはここからです。
どうする〜?渋谷に出る?それとも・・・なんて言っているうちに、ずんずん山手通りを歩く歩く。結局、大荷物抱えているのにも全く動じずに、文化村まで歩いちゃった。
何しろ、私とクミちゃんは、かつて赤坂で一緒に働いていたときも、平気で仕事帰りに渋谷まで歩いていたくらいだから、普通の人ならタクシーを使うのかも知れないけど(もしくは電車)、平気で歩いちゃいましたよ。
クミちゃんは、本当に優しくって、荷物を持つ私をずっときづかってくれていた。そんでもって、「道が分かるところまで送るよ〜」なんて言いながら、結局
渋谷まで一緒に来てくれちゃって、着いたところに丁度スターバックスがあったので、「ついでに休憩してこっか〜」なんて言いながら、私は普段はあまり頼ま
ないフラペチーノを注文。疲れたときのフラペチーノって、美味しいんですよね〜これが。バナナとランバチップが入ったやつを頼んだ。ココナッツのも前に飲
んだけど美味しかったな。
そう言えば、金曜日にもスタバに寄ってアズキのクリームフラペチーノを頼んだんだった。・・・何だか、フラペチーノ率高い。そんな季節。
その後は、久々にハンズに寄って、おおいに盛り上がる。
いやあ、いつもの事ながら、楽しかった。そんでもって、よく喋りました。
クミちゃんといると時間が経つのが本当に早いなあ。いつもいつもありがとう。
こういう時間って幸せですよね。でも、まだまだお話しすることがいっぱいあるような気がします。
さて。
帰って来て、何気なくTV番組表をチェックしたら、今日は『人志松本のすべらない話』がやることを思い出した。午前中に、無意識に見てしまった同番組・・今日の始まりと終わりは、この『すべらない話』に支配されてしまったという、なんとも贅沢な一日。
いやあ〜〜〜、本当に笑いすぎ!!見逃さなくってよかった〜!
朝から、心の中に、詩があらわれては消え、あらわれては消えしていて、徐々に体調が戻って来て、心の健康も戻って来たような感覚がして心地よかった。
生きていることの無常と、私たちを常に在る「一瞬」について沸き上がる愛おしさ、その紛れも無い事実が胸を切なく、ちょっとだけ幸福にさせた。
そういう気持ちが沸き起こる感覚は、健康のバロメーターでもあるなあって思った。
月が綺麗でしたね。
楽しい時間は、本当にあっという間。
みなさんも、いい週末をお過ごしください!
愛を込めて。
Ryoco
でも、あまりにも雲がぽかぽかと気持ちよさそうに浮かんでいたものだから、必至になって目を開けて外を見ようとしたけど、太陽がさんさんと輝く空は本当にまぶしすぎ!
なので、取り敢えず眩しさに耐えながらシャッターを押した。急がないと「眩しい!」って言っている間にこの雲がいなくなっちゃうかも知れないからね。
体調はまだあまり良くなく、気持ちは元気なのに、何故か気分がどうも落ち込みがちだったのだけど、朝、瞑想をちょっとして、一日気持ちを高いところにおいていたら、気分だけは少しずつ元気になっていきました。
やっぱり、思いを強くイメージする事とか、言霊を大切にするとか、さわやかに行動するとか、そういうのって大事だなあって思った。つい、何かに集中していると、どれかが欠けてしまったりすることも多々あるけれど。
さて。
もうすぐで、ぱぱらっち(父)の誕生日なので、パタゴニアに行って来ました。私は父や弟の誕生日にはパタゴニアを利用させて頂く事が多い。
やっぱりオーガニックコットンだし、普段使いの服をプレゼントするならパタゴニアがいいなあって思っちゃう。スタッフの人とお話ししたりしながらお買い物するのも楽しいものね。
ラッピング用の袋は、色々な素材の布があって、大きいのと小さいのとあった。
袋は、このあとも、小物入れとか大きいのだったら枕カバーとか、色々な用途に使えますよね。素敵だ〜
そして、ついでにさ〜っと店内をチェックしていたら、パタゴニアの靴がこれまたよかったなあ。ヘンプと皮がとってもいい感じに組み合わさったスニーカーや靴があって、ちょっと高いけど欲しくなっちゃった。
ヘンプってところが惹かれます。私のお気に入りだったヘンプのリュック(テラパックス)も、色々きれちゃったからもう使っていないけど、とっても気に入っていたから同じのが欲しいなあ〜
さて。
今日の題名にmountainって書いたのに全然そんな話題が出てきてませでしたね。毎回、題名のことを忘れて感覚で書き進め、推敲も特にしないものだから、題名と内容が全く合っていなかったりして、書いている途中で「は!」ってすることもしばしばな、そんな私です。
そんな感じで、今「はっ!」って思い出したんだけど、何だか今日はもの凄く山を感じたんです。
青山を歩いた時だったのだけど、ここが昔山だったって言うのをすっごく感じた。
もう本当に、何だかと〜っても気持ちがよかった。
だから昔から青山を歩くと何か爽快で妙にリラックスしてたんだなあって、妙に納得してしまった。
そして、父へのプレゼントも、素敵な柄のシャツとか色々見たんだけど、どうも山のイラストのTシャツに吸い寄せられちゃった。そんな日でした。
そして・・・今日も森山直太朗をきいている。(森山おかあさんも)(ここにも山があるでしょ。って、これはこじつけ!)
では、
よい夜を。
今日のナビゲーターは、パーマのかかった髪の毛を早く短くしてしまいたい涼子でした。
よい夢を。
Love,
Ryoco
追記:
今、4チャンネルにまっちゃんが出ています。
まっちゃんは、絵も描くんですね。
芸能人で、絵も描ける多彩な人って多いですね。
彼は、やっぱりすっごい芸術家だなあって思う。芸術っていう言葉もいまいちしっくりこないけど、壁にぶち当たりながら、信念で何かを創って闘っていってる人だなあって。
芸術の中でも、笑いってやっぱり一番凄いって思うし。
ようやく、リリーさんの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を読み終えた。
ああ、苦しかったなあ。
私は、色々経験して行くにつれ、物語を読むのが苦手になってきている。もちろん、それでも小説は読んだりしているけど、かなりのっているときじゃないと読めない。
それが、自伝とかそういう類いの本だと尚更である。
逆に、実用書とかエッセイとか、紀行とか哲学書とかそう言った類いの本はどんなに分厚くても読み進めやすい。この前の、中平卓馬さんの本なんて、分厚いし字もとても小さいのに、凄く集中して読んだら半分読むのもあっという間な気がした。
今年の始めは、かなりの勢いでチベット仏教やダライ・ラマ法王に関する書籍を読んだし、岡本太朗さんの本もそうだ。
小説は、時に強烈に人生の助けになる。
私が強烈に支えられていた時期は、高校生〜大学生の頃だったと思う。
そこに、語らいがあるから、溢れる感情のぶつかり合いがあるから、読むのかも知れない。本当に、物語は友達だと思えた。
世間から孤立して孤独に思えた時、同じ感性に出会えると、感動して励みになった。
でも、いつしか、自分の経験が、どんな小説をも越えてしまったと感じた訳じゃないけど、読めなくなったって言う事は、そういう風に感じたからかも知れない。
小説の必要性すらないような気がして仕方が無かった。
あんなに本が大好きだったのに。私の心は壊れてしまったのだと思った。
実家には、そんな時期に手にした読みかけの自伝や伝記や小説が沢山ある。
それでも、私は“ものがたり”が好きだ。
その形は何だっていい。詩でも、小説でも、絵本でも、絵でも、映画でも、音楽でも、舞台でも、何でも。ただ、その中で、私が表現方法として選ぶならば、やはり言葉なのかなあと思う。
絵が描けたら、音楽ができたら、とか思うけど、やっぱり物心ついたときから自分の表現方法として言葉を選んで来た気がします。
正直なところ、何故、物語なんだろう?って思い、苦しいなあって感じた事もある。
意味なんて、無いのかも知れない。
ただ、私には物語が必要だって思っていて、それは同時に、世界中の人々にも必要なんだって思っていて、その重要性とか意味とか目的とかそんなのは分からないけど、とても大好きなんだ、っていう、それだけが確かな気持ちとして、ずっとずっとある。
それだけは、私の中心を通っている一本の信念として持ち続けて行こうと思う。
日々の、様々な制約の中で、純粋に生きようとすると、何度も壁にぶつかる。何度も、絶望に突き落とされる。
だけど、そういう制約があるからこそ、自由に生きる喜びを感じる事が出来るのじゃないかなあと思う。その間には、流されそうになったり、自分が歪みそう
になったり、迷ったり、色々あるけれど、ひとつづつそれらを越えて、自由に力強くにっこり笑う事が、生きる醍醐味じゃないだろうかって思う。
リリーさんのオカンのように、母親が子供に与える無償の愛。それは、生まれてきた人、誰しも受けて来た物だろうって思う。愛が無かったら、今こうして生きていない。誰かの無償の愛があったから、こうして生きているのだ。
それを、私たちは、大人になってからも忘れずに、心の奥に感じ続けていたいですね。
人は、お金より愛だ。愛が無いと、生きて行けない。人は、死ぬのを怖れるけれど、普段は、死をとても遠い事のように感じている。愛が無いと死んだも同然なのに、本気でないがしろにしている人がなんて多い世の中だろうと思う。
そういう病気は、いとも簡単に蔓延して、いつの間にか病気だって言う事に気がつかず、それがスタンダーとになていたりする。不思議だ。それなのに、感動的なお涙ちょうだいな物語を欲しがる。不思議だ。
物語は、涙を流させるとか、涙を流したいとか、そういった卑しい目的で対する物じゃない。何かが狂っている世の中だ。北野武さんが、「ここんとこ病気み
たいに、感動します、泣けますって、そういうバカみたいな映画ばっかり。そういう時代になっちゃった」って言っていたけど、まさにそうだなって思った。
涙って言うのは、結果として付随して来ちゃうもので、それが目的じゃない筈なのに、泣く事が目的になっている時点で、興醒めだなって思う。作品はどうあれ、PRの仕方に問題があるって言うのもあるけれど。
愛が無いと、心が荒みます。
間違った解釈が、連鎖していく。その一体感は、それはそれは気持ちの悪い物だって思う。
本当は純粋で、無垢な物が気持ち悪いと言われ(例えば、マザコンっていう言葉とか)、本当はとても気持ち悪いのにみんなして全く気がつかない気持ちの悪い善意とか、スタンダート。
そういったものを嗅ぎ分けられる人が減少しているのは、死に対峙して生きていないからだと思うし、愛や愛に置き換えられる何かが不足し過ぎているからだろうって思う。
エコとか、ロハスとか、スピリチュアルとか、例えばそういったいいものが歪められた意識で捉えられるって言うのも、一度それを自分の中で疑ってみることをしないからだろうって思う。
ダライ・ラマ法王は、仏教哲学も、鵜呑みにするのじゃなくて、まずは疑う事から始まるとおっしゃっているくらいだ。でも、それはとても正しいと思う。そうやって、ひとつづつ理解して行く事がその人の財産になるのだと思います。
ただ、流行に載って、全てをノリで取り繕っているのでは、時間が勿体ないって思います。
私たちが、何故生きているかなんて、その真の目的は誰も明確には答えられない。
だけど、感動するために生まれてきたって言うのは、色々な要素を集約していて、一番そうだろうなって思えます。
だからこそ、私は、物語を必要としているって思うのかもしれない。
そこに、分厚い壁とか苦しみがあったとしても、物語には人を色づかせる力があるって言う事を、身を以て知っているから。
「物語」は、「芸術」とか「音楽」などと同じように、「愛」と置き換えても、感覚的には何のズレも、ない。
私だけでなくみんなが、死ぬことも、生きることと同じくらい近くに感じて、今を大切に生きて行けますように。
孤独感に酔うのではなく、誰しも持つ本来の孤独に目をそらさずに生きていけますように。
愛を込めて。
Ryoco
今日の空:
いいお天気でしたね〜
Mieが、お散歩にいこうよ〜って言うから、凝り固まって辛くなっていた身体を休めようかと思っていたけど、やっぱりこのお天気の良さに身体がうずいてしまったので、一時間半くらいお喋りとお散歩を楽しんできました。
気持ちのいい空と風。5月だというのを忘れそうなくらいだった
暗号みたいなタイトルでごめんなさい。
決して、似てるけど『B・B・Q』ではございません。(似てないか。笑)
今日は5月19日の土曜日ですが、今の時点で、3回『時効警察』を見逃しています。昨夜に限っては、何故かあまりにも疲れていて心ここにあらず・・・で、あんなに面白い筈なのに笑うこともなく、そのまま眠りについってしまった。これは・・・最悪。
この度、また大好きな『時効警察』が始まって以来、枕を抱えて大笑いしながら観ていて、TVをあまり見ない私が、本気で楽しみにしていた番組なのに・・・ああ。
やまごん!絶対に今度見せてね〜(必至だよ)
さて、そんな私ですが、今週の木曜日、突然Hさんから、『大宮に来れない?森山直太朗のライブに招待されてるの』っていう、夢のようなメールをいただい
た。目をパチパチさせて、暫く状況が掴めず、心はすっかりお仕事早退モード。電話してみたら、一緒に行く予定の方が、急に行けなくなったとこのと。
これは・・・迷う事なく、完全に『行かせて頂きます!!!!ありがとうございます!!』でした。(笑)
行ってみたかったんですよねえ、直ちゃんライブ。曲はもちろん、ラジオが本当に好きで、車に乗っていた頃、たまたま乗っている時間によく「OH! MY RADIO」が流れていて、よく笑っていました。ラジオは、福山雅治さんも面白かったけど、直ちゃんがダントツで面白かった。まだやっているので、時々水曜日の深夜に聞いたりしています。
さてさて。
初めて訪れた大宮。埼玉って、特に友達もいないので(いたとしても遊びに行く事はないし)、本当に行く理由が特にないと行かない場所ですよね。最近は、イベントとかも埼玉でやる事があったりするから機会は増えていると思うけど。
ついたときは、丁度夕暮れ時で、とっても気持ちが良かった〜
Hさんが到着し、やっぱり相変わらずきれいだなあ〜と思いつつ、会場へ。大きすぎず小さすぎない会場は、満席。来ている人も本当に色々な世代の人がい
る。そして、みんな何やら同じタオルを握りしめているじゃないの。これは、きっとお約束があるに違いないと思いつつ、ほぼ時間通りにライブが始まった。
以前、森山良子さんのライブに行った時にも驚いたんですが、トークがとても多くて、最高に面白くって、本当に進行が上手いなあって。まさに、魔法みたいだった。
直太朗さんは、ラジオでそのトークの面白さ素晴らしさは知っていたので、驚きはしなかったものの、やっぱりライブだったから、一味も二味も違って、これまた魔法のように素晴らしかった!今思い出しても、魔法としか思えない感じがする。
あの親子は、とても私たちに近いところに降りて来て音楽を届けてくれる“地域密着型”アーティストという顔をもっているけれど、きっとどんなに凄いミュージシャンでもかなわないくらいの魔法使いだとおもう。
だって、あんなに会場全体を幸せに包んでいるライブってそうそうあるもんじゃないもの。
実は私、直太朗さんのCDが欲しい欲しいと思いつつ、ついTVやラジオでよく聞くのをいい事に、後回しになっていた。でも、『さくら』だけは、iTuneで購入して、iPodに入れて毎日持ち出して聴いている。家でも何度も聴いた。
ライブでは、ギターを置いて、マイクの前に立ち、アカペラで始まった。途中でピアノが入って来たけど、すっごくよかった。大切に唄っている曲なんだなあっていうのが伝わって来た。
嬉しかったなあ〜〜
それにしても、ライブの途中まで、ずっと夢みたいな気分すぎて、現実と認識していない感じだったけど、ライブの最中にしみじみと、『舞台には直ちゃんが
いて、そこで唄い話しているのも本人で、私も同じくこうやって今日東京から大宮にやってきている。そして、隣にいるのは、私がまだほんの子供の頃(と言っ
ても20歳くらい)にHさんの文章に心打たれて出会うことができた、とても尊敬していて、今はそれだけじゃなくてとても大好きな人。自然とこうしているけ
れど、考えてみたら、めちゃくちゃ嬉しすぎるわぁ〜』って、うっかり相当な幸せ気分になってしまった。(遅い)
ライブの事は、ここで語ってしまうと語りきれないくらい、というか私的に纏めきれない感じなので、書きませんが、直太朗さんのライブに初めて行った感想を総括してみると、
①本当に心に響くいい声で、眠っている魂すら揺さぶるような声。ありがとう!
②魔法のようなトーク。爆笑あり、優しさあり、強さあり、自分の持っている物を惜しげもなく隠す事なく与えているという、どきっとさせられる場面が満載の
トーク。直太朗さんの在り方っていうのは、形は違えど、岡本太郎さんと同じだって思ったの。だから、どきっとしてしまった。何にもないところから発してい
るその自由をはっきりと手にしているところや、こういう制約の多い世界で、とびきり楽しい事を創造して行っているその溢れる情熱とパワー。
そこに、絶対的に自分として、同時に、世界中の人と同じである自分として立ち、一瞬を生きている孤独をちゃんと知っている人だけれど、壁なんて全く感じ
させないその不思議じゃないけど不思議な姿。限りなく他の言葉を受け入れて、森山直太朗というフィルターを通して、丁寧に私たちに返してくれる。
失ってはまた創って行くその哀しみと喜びの繰り返しの歓喜を、音楽や存在そのものをもって、自然に私たちに与えてくれている。
そんな人がこの世にいることに、生きる喜びをいっぱいもらった。 ありがとう!
③地域密着型。地元の中学生合唱団が出てきて、直ちゃんも制服で出てきて、一緒に『虹』を唄った。この企画は素晴らしすぎた。この自由さと柔軟さが、森山直太朗の醍醐味。 ありがとう!
④幸福感。凄い事に、最後に本人が「今度来るときは、好きな人を連れて来てください。なんなら嫌いな人まで連れて来ちゃってください。絶対に損はさせません」みたいなことを言っていたけれど、これは本当だと思う。
彼が、全人間的に生きているからこそ、好き嫌いを越えて、その彼が手にしている幸福感や大切なものが、私たち全員に届く。
これは大げさじゃなくて、彼から発せられている愛(音楽)とユーモアは無償だからだと思う。
本当に、隅々まで愛を抜く事がないステージは、それだけでパワフルで素晴らしい。 ありがとう!
⑤音楽。言うまでもないけれど、その多くが注ぎ込まれている音楽は、感動しました。聴いてみたかった曲も聴く事が出来て、これからCD屋さんに行って、少しずつ買って聴いていきたいなって思いました。
例えば、私たちが発する言葉って、誰かが創った既存の物で、そのなかから紡いでいるに過ぎないけれど、それが発する人によってこうも違うという事は、どう
いう事なのか、そこに生き方の秘密が隠されているって思った。そう言う人を見て感動したら、分かってくる。そして、感動したら、その感動をそのままにして
はいけない。感動したら、私もまた、生き生きと太陽に向かって生命を開いていかないと。 ありがとう!
さてさて。
そんな大げさな〜って思うような総括かも知れないけど、そう感じたのです。
でね、思い出したんですよ、あたし。
まだ幼かった小学生とかの頃、好きだった男の子って、直ちゃんみたいな人だったなあって。森山直太朗さんを好きだな〜って心から思って、思い出した。
これは、私にとってとても大切な事だった。
直ちゃん、本当に本当にありがとう!!
アンコールで、「人は、忘れちゃうんですね〜。どんなに楽しい事も忘れちゃうんですね〜」みたいなことを、言い出したのが、今言わなくてもいいのに的を 得た事を言い過ぎてて驚いたけど、驚いている暇もないほどに、その後にどんどんトークが展開して行って、なんて思考の早い人だって思ったけど、そうやって 凄い早さの中で、どんどん今を繋いで行っている彼が、本当に大好きだなあと思った。
そうなんですよね。
生きるっていうことは、本当に哀しい。どんなに今が愛おしくても、楽しくても、辛くても、今のこの想いを正確に思い出せる事は決してない。それは、哀しい事。でも、その必要は全くないんですよね。だから、忘れるって言う能力を私たちは与えられている。
その生きる哀しみと絶望を、いかに喜びとユーモアで満たして行くか、そういう一瞬を創造して行くか、が生きるという醍醐味なんですね。
それを知っている人は、強い。
ここには何にもない、と同時に、何だってある。
無常であるこの世は哀しい、と同時に、それだからこそ生きる喜びがある。
そういうことが、自由だって思う。
世の中に縛られたとしても、自分を縛って生きてはいけない。太陽に向かう植物みたいに、のびのび生きよう。太陽を受けて光る水みたいに、キラキラしよう。
風を感じて、匂いを感じて、たまには立ち止まって美しい空を見上げて、空は青い、夜には星も月もきれいなのだって言う事を感じて。
退屈な日常、繰り返しの日常?そうやって地団駄を踏むんだったら、思い出して。私たちは宇宙の一部分だってこと。誰ひとりとして例外はいない。
どこまでも、どこまでものびて行けるわ。退屈な日常を、みずみずしく伸びやかにするきっかけは、すべて私たちの手のひらにある。その具体的な方法がみつからなかったら、手のひらを空に向けてみて、感じるかしら?って試してみてもいい。
って、ここまで私に思い出させてくれた、直ちゃんの音楽に触れてみるのもいいかも!(笑)
Hさんと、東京まで戻って来て、時間も遅かったから美味しいごはんをだしてくれる立ち飲みやさんでお腹を満たしたんだけど、そこでも内容の濃い話が展開
してたっけ。人はあたりまえの事実として忘れる。さらに、写真とかそういった証が消えてしまえば、それはあたかも夢のように個人のなかにたゆたうのみだ。
でもしかし、決して消えないんですよね。記憶からおちたとしても、その業は消えないんだ。(それに、ちゃんと内観すれば全て思い出してしまえるらしい)
いい事も悪い事も含めて、その業が消えないのは事実。それを変容して行く事が生きて行く事で、その過去にくよくよしたり執着するのではなく、人は、それ
に縛られる事なく断固たる決意を持って、越えていかなければいけない。そうすれば、新しい因果が産まれて行く。その繰り返しが生きること。それに終わりな
んてないんだから、狭い目標なんて決めたって疲れちゃう。だから、今を一生懸命生きることに集中して行けばいいんだって思います。
仏陀にまつわる話にも、どんなに凄い人殺しでも、そのあとにしっかり自分を見つめなおして、素晴らしい行いをすることによって、人間を越えてしまったという話が沢山ある。
だから、失う事を怖れなくてもいいし、未来を怖れなくたっていいのだ。怖いと思ってもいいけど、早く気がつけばいいね。今を生きて行く生き甲斐と、喜びに。
それのきっかけが、直ちゃんの音楽でもいいかもって、私は本気で思うわ!(笑)
最後に、『 Q・O・L 』とは、ファンの方達が持っていたタオルに書かれていた文字であり、直ちゃんの『風待ち交差点』っていうアルバムに入っている曲名でした。
意味は、“Quality Of Life”ということでした。
『あなたの“Quality Of Life”はなんですか?』なんて、何かのキャッチみたいだけど、それってとても大切な事ですね。
なんだっていいから、自分としての心からの“Quality Of Life”を見つけましょ。
その“Quality Of Life”で得た幸せが、世界中の人々と繋がり、歓喜となって広がって行きますように。
あらゆる武器を芸術(愛)に変えよう。
壁を越える自由な心とユーモアを。
芸術は、生命の数だけある。
Q・O・L!
これは、とにかく、ぐっとくる。
そして、その活動も素晴らしく、ひそかにずっといい刺激を受けています。
こういう活動や作品を見せてくれる事に、「ありがとう」と感謝するかわりに、
私もつくることへの精神を失わず、
出来る出来ないとかそういう恐れを捨て、クリエイティブな精神を持ち続け、
結果云々じゃなくて、ずっとずっと挑み続け、
自分以外の人や世界とコミュニケーションしていくことを、人生の喜びとして生きていきたい。
東京だけじゃなく、宇宙全体を盛り上げて行こう。
ひとりひとりが燃やせる限りの情熱で。
以上〜!
よい夜を。
Ryoco
追伸:中平卓馬さんに出会って、ようやく寺山修司が私の中に溶け込んで来た。
随分おそい青春。情熱。(笑)
いいのよ。
死に向かうにつれて、若返っていけばいいじゃない!ね?
うふふ。
私は、中平さんについては写真の大学に行っていた学生の頃は全く知らなくて、初めて知ったのは、ホンマタカシさんの写真集『きわめてよいふうけい―SHORT HOPE 中平卓馬』だったのだけど、それ以来、ずっと気になっていた人だった。
現在の中平さんについての、映像を見たり写真を見たり文章を読んだりして少しの情報はあったのだけれど、本人を目の前にして見るのは初めてだった。
ホンマさんの写真集と変わらない服装でやってきた中平さんは、入って来た途端、客席に座ろうとしたり、本人はいたって普通なのだろうけれど、それが周りの人には愛嬌のある風に見え、笑いがおこる。
スライドショーを見た後に、トークショーが始まったのだけど、中平さんの話がやっぱり一番みんなの心を奪っていた。話をしているのだけど、時には呟きになったり、中平さんの思考は今、脳の中でどのあたりを走っているのか、それを私はじっと見つめていた。
なんていうか、その言葉になっていないような言葉に耳を傾けていると、あっちへいったりきたりしているのに、なんだか中平さんと一緒にそこにいて見たり感じたりしているような気分になったりもした。
繰り返される話の内容は、思わず微笑んでしまう。会場は、何度も笑いが沸き起こった。なんとも、屈託がなくかわいいという印象。だけど、それだけじゃ ないっていうのが、その聞き取りにくかった呟きの中に含まれていて、聞き取れたとしてもとうていそれを理解するには足りない気がした。
ただ、中平卓馬さんをみていて、ここ最近ずっと触れ続けている岡本太郎さんと同じような眼を持っている人だと、強烈に感じて、その純粋さをひしひしと感じて感動しました。
最後のスライドショーが始まる前に、一番前の席の人に、トークショーの中で話していた巨大蛇の載っているページを差し出して、「ほら!」って説明してく れたり、「ムツゴロウ」って言われるようになったっていうのを何度も言っていたり。現在の中平さんは、そんな風なとても屈託のない人だった。
1977年に倒れて以来、多くの記憶をなくし障害も残っている。そして、言葉を失った今でも、写真を撮ることを続けている。それは、もう言葉にならないくらい凄い事だって思う。
それで、この本を開いてみた。
私は、無意識のうちに見えない力で、見たいものへ引き寄せられているような気がしてならない。大きな流れでは、ダライラマ法王から岡本太郎と吸い寄せら れるように来ているのだけれど、その上で中平さんの過去の文章に触れる事ができたというのは、とてもいい流れだったような気がする。もし、突然この本に出 会っていたら、とても感動しただろうことは間違いないって思うけど、その感動はもっと浅かったかもしれないと思う。
とにかく、感動しているのです。
彼の、とても純粋な眼、思考、葛藤。それは、写真というものを純粋に愛して、それを表現の手段とした者の本当の姿のような気がします。写真というのは、 シャッターを切った時、自分が考えている以上のものを捉えてしまうものだから。そう言う点では、絵などの他の個人が生む芸術とは異なる部分を持ち合わせて いると思う。
そんな写真と言葉の間で生きてきた中平さんの言葉に、とても共感出来る苦しみや葛藤を、随所に感じる事ができる。私は、中平さんのように、こんなに素晴 らしい文章でその葛藤を表す事はできないけれど、私も過去の中平さんと同じような壁を感じ悩んでいる。だからこそ、今回、そういう葛藤をしていた中平さん を知って、とても愛おしく感じたとともに、とても緊張感をもって彼の生き様を見るようになった。
共感したなんて書いたけど、もちろん私は、足下にも及んでいない。まだまだまだまだ私は甘いのだ。
それに、いくら私の思考がちょっと男性よりだとしても、男の人と女の人とでは違うと思っている。男の人が背負っている、女にはすべてを理解しつくせな いかもしれない大きな仕事と、それに対して純粋につらぬこうとして打ち込んで闘い続けるその姿の奥底がふと垣間見えた時、なんて孤独で哀しいと感じて、胸 がいっぱいになる。だけど、そういう姿こそ女性が無条件に感動し惹かれる部分だったりするのかも知れないと思う。
どんなに哀しさが渦巻いていようとも、ニッコリ笑って古いものを捨てつつ、どんどん変化して行く、見えないけれど見たいその先にある「こういう もの」へ眼を向ける。その変化し続け、繰り返しの中にある、出会いとコミュニケーションの中に、生きる喜びがあるのかなあということを、最近強く感じています。
近年は、こういったブログだってそうだけど、メールで用事が済んでしまったり、SNSで言葉をやりとりしたり、写真だってインターネット上を始め、もう本当に溢れている。何が現実で何が嘘なのか、そんなことですら、どうでもよくなってきているような流れも感じられる。
そんな事が当たり前になっている中、中平さんや岡本太郎さんがぶち当たった大きな壁、そして、それを乗り越えてきた様々な現実。その純粋な情熱と冷静な
思考は、本を通して膨大な量の言葉となって残さた。これは、とても凄い事だ。そして、私たちに色あせる事なく、語りかけている。
大切なのは、結果ではなく、そのプロセスと生身のコミュニケーションなんだ、と。
トークショーの後、あまりにも集中し過ぎて疲れていたのか、思いっきり障害物につまずいて、コンクリートの上に手と膝をついて転んでしまった。
本当に酷い転びっぷりだったのに、打ち所がとてもよかったらしくって、無傷だった。もう、それこそ何年ぶりだろうって言うくらいに転んだので、かなりぞっ
としたできごとだったけど、その無傷だったって言うのが本当に不思議。
みなさんも、足下には気をつけてくださいませ。(笑)
おまけ:渋谷へ向かう横断歩道で、強い向かい風が私の身体を襲った。それは、本当に心から気持ちのいい風で、空を見上げたら、これまた本当に美しかった。
MEMO:タワレコは、28日からWポイントだそう。今日は、欲しいCDがたくさん目についちゃったから、ひとまず自分には1枚も買わずに帰って来た。
せっかくのWポイントに合わせ、お財布と相談中。
おまけ2:マンションの脇でじっとしていたとかげ。
今日は、岡本敏子さんの三回忌だそうです。
嬉しい事に、追悼のイヴェントに参加させて頂けました。
ちょっと、最近の気温の変化のせいで風邪でもひいたのかやけに眠くって瞼がくっつきそうな感じだったんだけど、参加出来て良かった。
ライブリーディングなどがあって、記念館の中も歩き回ったりして、そのあと乾杯があったんだけど、珍しくその一杯ですっかり酔いがまわってしまって、
立っているのが精一杯で、周りの人と話したりしないで早めにおいとましちゃったけど、最後に色んな部屋に行ってたくさんエネルギーを吸い込んで来た。庭で
も。
人知れず酔っぱらってしまって、スターバックスで休みながら帰って来た感じだけど、心の中では私なりにしっかり追悼しました。
それは、生きることへの決意だったり、情熱だったり・・・内から外へ向かって行く情熱。
私は、それが、一番の追悼かなあって思ったんです。心の中で、敏子さんと対話させて頂いた。
太郎さんと敏子さんの生き様を感心している場合じゃないんだって思う。
とても激しく感動したから、それい以上のもので答えて、乗り越えていかなければね。そういう、気持ちが一番必要なんだって思います。
上手い言葉で喋れなくたって、子供の頃の眼を思い出せばいい。子供の頃見ていた風景とその感じ方を。
あるいは、人知れず闘って生きている雑草のように、日々変化させて行かないとって思う。毎日は、決して同じじゃない。同じことを繰り返していてはだめなんだ。
それを表現して行けばいいのだと思う。ありのままを。
世の中は矛盾だらけ。その矛盾の中、それにあらがって変化して行くことが生き甲斐なんだって思う。矛盾があるから、面白いとも言えるのかも知れない。
今は、とても自由がある時代だけど、だからこそ何をしていいか分からないで彷徨っている人が多いのが実際のところかも知れない。昔にはない、分厚い見えない壁があるのかも知れない。
その自由の中で、個々がしっかり自分と向き合って、本当の意味での自由を獲得し、宇宙に向かって開くように生きて行けますように。
世界中のみんなが。
それは、その人の決意ひとつなんだ、ということを忘れないでいよう。
そのきっかけは、すべてひとりひとりの手のひらの中にあるはずだから。
死ぬその瞬間まで、ずっと開いて行きたいって思う。孤独の中で。
ひとまず今夜は、敏子さんに乾杯〜!
敏子さんは、太郎さんと一緒に、そこらじゅうにいるような気がしてならなかった。いるってさっかくするほどに。不思議じゃないけど不思議な感覚です。
おまけ:帰り道、毎日のように感動している夜のハナミズキを激写。