約1年間、お世話になったvoxさん、とっても面白くて便利な機能があって使いやすかったのですが、閲覧環境によってはブログがなかなか表示されないとか、コメントの時にフリーズしてしまうとか、色々と問題も生じていて、ここ最近はそれに時間が取られてしまってちょっと困っていました・・・
それで、ちょっと悩んだのですが、思いきって心機一転、お引っ越しをする事にしました。
とても使いやすかったのと、デザインも気に入っていたので、本当に残念ですが・・・本当にお世話になりました。
ありがとう!!
そして、voxのご近所の方々も、どうもありがとう!
ブログ自体は、まだ続けていくので、よかったら、新しいブログも覗きにきてくださいね。
今度は、ブログがシンプルで軽いというところをポイントにお引っ越ししたつもりなので、私的な面白みがちょっと減りますが(笑)、きっと閲覧に関してはストレスがなくなるかもしれません。
voxさん、本当にありがとうございました。
ブログはこのまま残すつもりなので、これからもどうぞよろしくお願いします。
(またいつか戻ってくるかもしれないしね!)
ひとまず、ひとつの区切りとして。
ありがとう!
さようなら!
これが、新しいブログです
『Ryoco Otowa Journal』(http://ryocoo.exblog.jp/)
Aloha
love,
Ryoco
3連休の始まり・・・とは言っても3連休じゃない方は沢山いるのですが・・・(やまごんが、「普通の働き人は3連休か!」って言っていたのが面白かった・・・普通の働き人って表現が)・・・本当に寒かった!
やまごんがちょっと楽しみにしていた雪は降らなかったけど。
先日、あつむくんに「だってそれ、フトン着ているのと同じだもんね!」みたいな事を言われ、はっと悟った私ですが・・・寒かった!
悟った事というのは・・・どうりで近年、「暖冬だなあ」とか、「ここ何年かで、冬の寒さに強くなったなあ」とか感じていたわけだわ・・・と言う事だった。
なんだ私、フトン着てるから寒くないんじゃん!って悟ったという・・・何とも間抜けな話なのですが。
フトンというのは・・・パタゴニアのダウンジャケットの事です。アラスカへ行くために買った・・・そして、まだ行けていない!
あまりにも毎日暖かいので、私にとっては秋用のダッフルコートを着てみたら、普通に寒かったです。
ダウンのあたたかさは、凄いんだなあ!
さて。
今週は・・・忙しかった・・・
ので、何となくテンションが高めの私です。
何と言うか・・・頭がフル回転している感じ。
占いの類に、依存はしないけれど、やっぱり面白いなあと思う。
特に、占星術とか、細木数子さんの六占星術も面白いと思うし、夢占いも面白い。手相だって、きっとその刻まれた線には意味があるのだろうと思う。
身体のパーツのひとつひとつ、皆それぞれ違っていて、そう生まれてきた意味があるように、生まれた日にも意味があると思う。
そう言った意味で、そういうのを掘り下げて研究してきた人が編み出した占いというものに、生命の不思議を知るひとつの窓口があるなあと思うから、面白いと思うのだ。
直感で、これは聞いといた方がいいかも・・・と思った事は、信じていなくても、ちょっと考えてみてもいいんじゃないかなあと思う。
って、こんな話を書くのも、今週、自分の中で面白い変化があったから。
急に、何かのつかえがとれたように、まわらなかった頭がフル回転で動き始めて、次々とアイディアとか言葉が浮かんできて、止まらなかったから、取り敢えずノートに書き留めていた一日があった。
その前日までは、明らかに思考が停止していたような気がしていた。
こう言う事は、時々ある。どんどんどんどん考えが生まれては先へ進み、まさに、コップから水が溢れるみたいに色々と生まれてきちゃうとき。
それで、今回、あまりにもその前日との差が激しくて、私は同じ人物かしら?とさえ思ったので、試しに細木さんの占いでどんな日だったか見てみたら・・・ビンゴだったのです。
前日までは、いわゆる大殺界。そして、アイディアが生まれてきて、フットワークもいきなり軽くなって、色々と調べたり行動する意欲も沸くわ、色々な願ったりかなったりの本に出会ったり・・・とか、色々あった日が、“種子”といわれる日だったのだった。
というわけで、こう言うとき、とての素直な私は、種子のその日に出会ったり考えた事は、育てていこうと思ったのでした。
占いって、そんなふうにヒントすると、面白い事も結構あるんじゃないかなって思う。
当たるとか、当たらないとかは、あまり関係ないっていうかね。私はそう思っている。
いわゆる、「知る」ためのひとつの方法としてとても面白いと思うだけ。
占いがどうあれ、自分の人生は、自分が切り開いていくものだから、例え悪い占いがあったとしても、それに振り回されてはいけないと思う。
愛と感謝の心、慈悲の心を持ち、実践していけば、悪い運気だって吹き飛ばせると思う。
それに、悪いと思うような事だって、自分の人生にとっては最善の学びなんだと思えば、辛い中にも歓びを見いだして乗り切れるんじゃないかなあと思う。
悪い占いが当たっていると思う時には2パターンがあるような気がしていて、人生を適当に生きているから当たってしまうという場合と、しっかりと地に足つけて心身ともに心掛けて生きていても当たってしまう場合。後者については、きっとそれは避けられなかった人智を越えた宿命で、それは決して悪い事じゃないと言う事。そう言う人だからこそ、与えられた学びなんだと思う。
とにもかくにも、占いに振り回される事なく、今、この時を大切に生きていきましょ。
私自身、睡眠不足などで、ちょっと気が衰えているなあと思う時、光に包まれている事と、金色のベールで自分が覆われている所を想像します。
こう言う事って、とても役に立つなあと思う今日この頃。
なんていうか・・・とても気持ちが良くなって元気になっていく。
そう言えば、毎年年末になると、来年の手帳の色を真剣に考えるのですが、今年の色は是非黄色にしたい思いついたら、私の毎年買っている手帳には黄色がなかった。
それで、ある色のなかから直感で選んだ色が金色だった。
何だろう。色の力ってあるなあと思う、今日この頃です。
何故かイライラしちゃっていたから、“怒り”についての智慧については本当に心が洗われる思いがしました。
そうかあ、そういう大切な智慧をちょっと忘れていたんだなって。
まだまだだなあ、私!と思ったら、ムクムクと元気が出てきて、とても気持ちが明るく、軽くなりました。
何て言うか、チベット仏教をああやって読み解いていったダライ・ラマの素晴らしさは、なかなかうまく語る事が出来ない。
そして、もっと元気になるためには・・・太郎さんに会うのがいいなあと思う。
本とか、絵とか、記念館に行ったっていい。
そうそう。
ちょうど今、岡本太郎記念館の企画展が、『透明な怒り』と題されているのだけれど、怒りにも2種類あって、太郎さんのように怒る事は、とても素晴らしい事だなあと思うんです。
だけど、人を一瞬でも憎んだり蹴落としたり・・・そういう風に思ってしまう黒い怒りは、全ての善い行いをなかった事にしてしまうぐらいの力がある。光すら暗い色で覆い尽くしてしまう力がある。
だから、イライラしてきたら、ちょっと自分から一歩離れてみて、観察してみるといいんじゃないかなあと思う。何でこんなにイライラしているんだろう?原因は?え?そんなこと?例えばこれがハワイだったら、NYだったらどう感じるだろう?とか・・・色々な角度から見て行くうちに、その怒りがなんともばからしい事だったという事実に気がついて可笑しくなってしまうだろうと思う。
反対に、よき事のために、怒ることからは、目をそらしたらいけないなあと思う。
太郎さんが、「自分の中に毒を持て」とおっしゃっていたけれど、自分なりの哲学を持って怒っていかないと、生み出して表現していかないと、自分の魂が輝かないし、世界と響きあえないと言う事だろうと思う。
世界中が歓喜するためには、ひとりひとりの『透明な怒り』がどんどんぶつかりあっていくべきなんだろうな。
私は、祈る事を毎日しているけれど、祈っているだけでは、もちろん足りないと思っている。
具体的に実践して行く事が合わさって、やっと面白い形が見えてくるのだと思う。思いがけずに。
例えば、デザインなんかもそうだ。不思議なもので、頭で考えるより、手を動かしていると、思っても見なかったアイディアが生まれて、夢中になているうちに、何だか分からないけれどいいものが出来てしまった、って言う事が殆どだ。
それと同じで、具体的に行動していく中で、人は大きく成長していけるのだろうと思う。
もちろん、その中で忘れては行けない心もあるだろう。
愛とか感謝とか、慈悲の心とか。
そして、私たち人間は、宇宙とこの地球の自然、ほかの生命と共に在る事を忘れてはいけない。
というわけで、すっかり書こうと思っていた吉祥寺でのお話は書く余力がなくなってきてしまいましたが・・それはまた次(明日?)の更新でお話ししようと思います。
ではでは、みなさんもよい週末をお過ごしくださいね!
Aloha
love ,
Ryoco
そう言えば、ショッキングな事に、何となく危惧していたけれど・・・
私は乗り気ではなかったのに、Mieと不動産やさんにプッシュされて、ここに引っ越しを決めた
私なりの大きなポイントのひとつが、この景色だったのに、
どうやら、向かいの会社のビルが壊された後に出来るのは、マンションらしく、
それが出来れば、確実に景色が奪われてしまいます。
それも、今年中にはそうなるのでしょう。
いよいよ、本気で引っ越しを考えるべきなのかなあ・・・と思うけど、先立つものがない。
ああ、無常とは言え、もっともっとこの景色を見ていたかったなあ。
もうじき「さようなら」することになるのかと思うと、
今こうして広がっている景色が、奇跡みたいに思える。
夏が始まった頃の
ひんやりした校舎
オキナワへ行こう
一緒に行こう
あっちで待ち合わせたっていい
オキナワヘ行こう
ドキドキした
行きたくて 行きたくて
突然、
目前に広がろうとしている、遠い南の果ての風景
夢でさえ
旅へ出ようなんて思っていなかった夏なのに
「オキナワへ行こう」と思った瞬間から、
行かない理由なんてなかった
お金なんてなかったけれど
行けない理由は何処にもなかった
三人で船に乗り
東京を飛び出した
不思議な組み合せ
だけど、
何の違和感もなかったのが
今でも不思議に思う
吸い込まれそうな夜の海
見上げれば、
吸い込まれそうな星空
甲板に寝っころがって
見つめた
私たちと海と空以外は
何もない
船の上
キラキラ輝く昼間には
イルカたちが遊びにきた
泳ぎの得意な彼らさえ
船のスピードにはかなわない
信じられないくらい
かわいかった
いつの間にか
白かった皮膚は焼け、
二晩寝て、目覚めたら
そこには
見た事もないような
碧い海が広がっていた
オキナワの休日の過ごし方
マングースに鍾乳洞
ソーキそば
チャンプルー
A&Wにブルーシール
まだまだ沢山食べて呑んで
走り回って
海はどこまでも美しく
空は青かった
柔らかな音
柔らかな風
柔らかな出会い
優しい時間
それから
小さな船に乗り
島へ向かった
小さな島へ
無人島にも行った
色んな顔を思い出す
今でもそこにいるようで
もうどこにもないようで
その全てが
島のそこら中に溶けている
あの星を覚えている?
あの海の輝きを覚えている?
あの透明な海
あの魚たちを覚えている?
あの島を覆う植物たちを覚えている?
あの笑顔と
あの笑い声
あの優しさを覚えている?
忘れるわけない
出会った全部を忘れたって
名前や言葉を忘れたって
あそこで
感じた事の全ては
忘れない
あの旅で
私の中の
何かが溶け出した
遠い記憶
旅の記憶
こうやって、
ずっとずっと、旅をしてきたんだね
こうやって、
何度でも、出会ってきたんだね
オキナワに溶けたとき
身体がその事を思い出したんだ
あれから12年
ひとりは、オキナワの美しい女性に恋をして
あの場所をもう一度旅している
ひとりは、新しい命を宿している
私は、そうね・・・
旅の途中
いつかまた
訪れよう
あの懐かしい島へ
愛する人も一緒に
きっとまた
とびっきり賑やかなのだろうね
ブログを見るのに、色々と障害があったようなので、サイドバーに設置してあったものを外してみました。
見てくださった方で障害があった方、ご迷惑をおかけして、ごめんなさい!
これで大丈夫かなあ〜
ただ、気になるのは、サイドバーにあったものを外した後も、画面が何だか調子悪い・・・
ほかのサイトはちゃんと素早く表示されるのに。
という事は・・・voxの障害なのかしら?
う〜ん・・
ひとまず、これで様子を見ることにします!
また何かあったら、教えてくださると嬉しいです。
miyu、教えてくれてありがとう!
また、真夜中に目覚めてしまった・・・
今年は、この癖を無くさないとなあ。(ハワイ島から帰ってきてから続いている癖・・・)
「ふ」で始まる言葉っていいなあ〜と思った一日でした。(?)
「ふわふわ」とか、「ふっくら」とか、「ふーちゃん」?とか、「ふさふさ」とか・・
なんか、やわらかくて優しい感じがする。
そう言えば、「不思議」って、サンスクリット語から来ているって、朝ラジオで言っていたっけな。不思議(正確には摩訶不思議なのかな)とは、本来は、「人知を超えた素晴らしさ」という事だ。
家を出る直前に聞いた話だったけど、これには、へえ〜!って感動してしまった。
そうそう。そのラジオで、押尾コータローさんが出演していたのですが(生演奏がとても素敵だった)、彼がハワイ島でアルバムを録音したそうなんですが、そこで、「なぎさ」というのを英語で伝えるのに苦労したとかって話をしていた。確かになあ・・・「ビーチ」じゃ違う感じもするしねえ。。
日本人は、人によって、渚のイメージがちょっとずつ違うのかもねえ〜とお話ししていたのを聞いて、なるほど、そうかもなあ〜と初めて思った。
みなさんは、「なぎさ」って聞くとどこら辺を思い出しますか?
と、そんな事を考えていたら、なぎさちゃんのことを思い出した朝だった。
休日モードの身体のせいで、お弁当を作るのを断念して、出掛けたのですが、一日が終る頃には、何だか気持ちが軽くなっていた。何でだろうなあ〜
昼は、思わずマクドナルドを食べてしまって、「今年2回目じゃん!」って、自分でビックリ&今年の食生活の変化に危惧したのですが・・・(だって、昨年なんか多分一年を通して2回行ったか行かなかったかくらいだもの・・・)
もしかしたら、帰りに寄ったお花屋さんが良かったのかなあ〜
だって、春の花が満載で、賑わっていたから。
チューリップも色んな色があって綺麗だったけど、まあるい薔薇にしました。
何だか、今日は、ふっくらとか、まあるいとか、そういうやわらかい感じのイメージが頭にあるみたい。
ベビーロマンチカっていう名前だそうだ。とってもかわいい!
そういえば、うちの弟は庭師だから、お正月に実家の庭とかをチェックしていたけれど、今年も既にハナミズキの芽がふっくらとた〜〜っくさん芽吹いていたそうですよ。隣のハナミズキの木は、昨年は貧弱だったけど、今年は沢山芽吹いているそうだ。実家のハナミズキは、私がハナミズキが好きだから、弟が植えてくれたのです。東京で目にするアメリカハナミズキのような華やかさはないけれど、凄くかわいくって大好きです。
そんな私ですが、みなさん、いかがお過ごしですか?
きっと、夢の中でしょうねえ〜!
そうそう。
なぎさちゃんを思い出したせいか・・・Aアニキから電話があった。
お互いに、「あけ・・・×○△」「今年も・・・×○△」とあいさつしあったあと、ビックリ!
なんと、国際通りにいるというじゃないの!そうですよ、オキナワですよ。
いいなあ〜〜
いいなあ〜〜〜
でも、すっかり綺麗になってしまったオキナワに少し残念がっていました。
しかし・・・わたしがAアニキとmiyuとあそこを訪れたのが12年前だなんて・・・ヒエ〜!
という事は、私は最後にオキナワに行ってから、10年も行っていない事になる・・・
あの頃は、こんなにインターネットもコンピュータも普及していなかった時代だったなあ・・
満喫してきてほしいですな!
私も、そろそろまたオキナワを訪れないとなあ・・・
「かわいい天使がついているよ」と言ってくれた方が、「あなたはオキナワがいいよね」と何故か言っていたので、また行かないとなあ〜
とは言え、今年はもう既にハワイ島行きが決っているのですが。
このお話は、また次回にゆっくりと。
しかし、旅先で電話って嬉しいものですね。
後ろから、オキナワの音が聞こえてきていました。
えんだ〜(A&W)も行ったそうだ。いいな〜!ね、miyu!
今日は、さっそく煮たまごを活かして、焼うどんをつくってみました。
味付けは、だしと、生姜と煮たまごのタレくらいだったかな。
これが・・・美味しかった!
煮たまごは、半熟じゃないのが残念だけど、煮たまごバンザイ!
セロリを炒めるのを忘れてしまって、くやしいから生で添えました。
今年は、このように、少し自分のオリジナルを休憩して、料理本に学ぶ事もしていこう!(とは言え、これも煮たまご意外は、オリジナルだけど・・・)
そうそう。年末年始で、家にいなかったのと、外食が多かったせいか、残っていた人参さんと牛蒡さんを駄目にしてしまった・・・有機栽培だから持つと思っていたけれど・・・駄目だった。
ああ、ごめんなさい!
食べ物を無駄にしてしまった時、心からごめんなさい・・・という声が出てくる。
年末年始も一生懸命余らないように作って食べたのですが・・・買った食べ物はちゃんと食べきらないとね!
さて、目が覚めたついでにブログを更新してしまったけど、夜はちゃんと寝ないとね!
そう言えば、今夜ははっちゃんから電話がなかったなあ・・・
ではでは、
よい夢を!
Aloha
love,
Ryoco
すっかり、生活のリズムが、バケーションモードになっていて、明日から大丈夫かしらんと思っている夜ですが、みなさんは、いかがおすごしですか?
さっきも、はっちゃんから電話があったのですが、どうやら今日は、あっこちゃんのおばあ様のお通夜があって、両家のじぃじ、ばぁばが揃っていたので、はっちゃん的には嬉しくて全開にはしゃいでいたそうだ。
電話でも、元気いっぱい。受け答えも、前よりしっかりしてきていてビックリする。
そして、去り際も、相変わらず爽やか。だって、こちらから「じゃあね!」と言わなくても、もういいやって思うと、「バイバイ」って言ってくるのだから・・・可笑しい。
さて、今年は、ずっと買わないできた卵を買ってみました。煮卵づくりにチャレンジしたくて。
そして・・・久々に卵を茹でたら、失敗・・半熟にならなかった。そして、卵が新しかったせいか、皮が身に密着しちゃって、綺麗に剥けなかった!
現在、冷蔵庫で冷え冷えになろうとしているけれど、一体どんな味なのだろうか。でも、半熟じゃないからなあ・・・
今年は、料理ももっと、色々な事をやっていけたらなあ〜〜と思っている。
せっかくオーブンがあるのだけど、いかせていなかったから。
お菓子作りとかパン作りとかも、してみたいなあ!
そう言えば、あっこちゃんがお正月に、パパパッと朝に作ったと言うポンデケージョらしきものが、と〜〜っても美味しかった。
さて。
今日は、代々木公園に、行ってきました。
木々の中を歩きたかった。
途中で、出会った木がとても心地よくて、もたれかかったりしていたら、背中が暖かくなった。
木々との対話は、私にとってはとても大切な時間なのです。
木のぬくもりが、身体をふわっと包み込んでくれるのを感じるの。
寒い冬には、ぬくもりを。
Aloha
love,
Ryoco
追記:
エンジェル・カードって知っていますか?
これが、とても不思議なカードなんです。
どうしても聞きたいことがある時に、天使に問いかけるのですが、本当に必要な言葉がそこに出てくるの。
まさに、感覚で受け取るメッセージなのだけど、本当に感動します。
是非やってみたいなあと思う人がいたら、お会いする時にカードを持っていくので言ってね。
不思議なんだけど、昨年、天使がついていると、言われる前に、このカードを買ったんですよ。
そして、大掃除をしていたら、天使の絵が出てきた。
天使は、本当に側にいるなあと、感じずにはいられない、今日この頃です。
おまけ:寒い冬に欠かせないのは・・・あったかパンツ!
もの凄い書いておきたい事が山積みなのですが、それは手帳でもなく、日記帳でもなく、このブログだったりする。
前へ前へと日々進んでいるから、一度書いたものを読み返す事などあまりないけれど、それは手帳や日記帳だって同じこと。だったら、こういう公共の場に記しておいて、誰かの必要な時のお役に立てたらなあ〜と思う。
その確率や、かなり低いのだろうけど、個は全体でもあるのだという事が私の中にあるので、共有出来る限りのものは惜しみなく共有していきたいなあと思う。
初夢、見ましたか?
私は大体いつも、初夢って覚えていません。
3日の朝だったか、民宿所みたいな、合宿所みたいな所の部屋にいて、その窓から外を見たら、もうすぐ側に水辺があって、それは海なのか湖なのか分からないけれど、とても澄んでいるのが分かった。
私の部屋は、何故か開放的な部屋で人が行き来していて、私の部屋を通ってみずに入っていった人の体が、全部透き通って見えたので水の透明度が分かったのだった。驚いて、外に出ると、美しい水が広がっていて、綺麗な苔のような水草のようなものが、ふわふわと密集していて、その上を感触を確かめながら裸足で歩いた・・・というような夢だった。
と、思えば、5日の朝は、もの凄い怖い夢を見た。
私は、古い一軒家のような所にいて、友人やその他の人も数人いて、あるうす気味の悪い人物(見かけは普通なんだけど、ゾンビとしか言いようのない気持ち悪い雰囲気がある人)が殺しにくると予告しているにも関わらず、そこから逃げようとせず、恐怖を感じていた。
どこかで、これは夢だと分かっているからかもしれないけれど、何故逃げないんでしょうね。(笑)
家の片隅で、唯一の男性一人と、もう一人の女性と肩を寄せあって、怖い夜を過ごしていた。この男性が頼りだ・・・!と、すがるような思いだったのに、ふと、「あ、あれをとりにいってこないと」なんて呑気な様子で、なんと夜の窓から上の階(?)に、にょ〜っと行ってしまわれた。
そこからが、怖かった。そのゾンビ男が、「明日の朝、行くからな」みたいな感じで、窓の向こうから一瞬現われて、こちらを凝視しているのが、ぞっとした。
そして、朝。予告通りに現われた男に、恐怖は頂点に。夢だから、銃なんて持っていたらひとたまりもない・・・と思っていたら、ちゃんと銃を持っていて、それはライフル銃のようなもので、乱射し始めた。
そこには、友人など沢山いた筈なのに、そんな時、その人たちの盾になる精神的な余裕や肉体的な反射神経など私にはなかった。「逃げないと!」とだけは叫んだと思うけど、みんな固まってしまって動けないでいるのが、不思議だった。
私は、ガラスのドアから外に飛び出したのだけど、後に続く人がいない。「何故?」と思って、ちょっと中を覗くと、そのゾンビが銃を乱射していた。何故皆逃げないのだろう・・・・と恐怖心の中で思っていたら、目が覚めた。
こうやって、文章にすると、なんとも間抜けな話の流れなんだけど、殺されるかもしれないって言う恐怖とはこんなに恐ろしいものなんだって言うのだけはリアルに感じた。
あまりにも、怖い感覚だけが残っているので(特に、あのゾンビのような男の存在感が気持ち悪かった)、いい夢を見直そうと思って、すぐに寝ました。
その辺のフットワークは、私は抜群なんだなあ・・・(笑)
だって、その後怖くて眠れなくなってしまったら、一日あの恐怖を引きずる事になるからね。おかげ様で、次に目覚めた時には、その恐怖心は消えていた。
この夢を見た時に、ああ、これは精神的なものや肉体的なものが作用していたんだろうなあ〜と思った。
『骨盤にきく』の片山洋次郎先生が、生理について書いていたものが、まさにそうだなあと実感できたという意味では、とても興味深かった!
骨盤から見る生理とは、生理が始まる4日前から右側の骨盤がゆるみ始めて、左側がゆるみはじめると生理が始まるそうだ。
生理4日めが一番骨盤がゆるんだ状態になるって言うのが、ごく自然な変化だそうですが、こういう骨盤がゆるむ、縮むといったことに負荷がかかってうまく行かないと、生理痛などの症状があらわれる。それだけじゃなくって、月経前症候群といわれるものもあらわれる。
骨盤が自然に緩んだり縮んだりする事って、とても大事で、本来は、それに逆らう事なく生活するのが一番いいのだろ思う。それがよく分かるのが、生理の時の体の変化なのかなあ〜と思うのだけど、骨盤がゆるんでいく生理の4日めまでの間に無理をしてしまうと、骨盤はゆるみきれない。特に、4日めは、緩みきって縮み始めると言う変化の時だから、実は一番ゆっくりとリラックスしていたい時期。
でも、4日めこそ、無理をしてしまう人が多いのではないでしょうか?
例えば、生理痛のあった人も、4日めは楽になっている筈だし、出血も少なくなってくる頃だし。
ゆるみきった骨盤は、自然と縮んでいくけれど、ゆるみきらない骨盤は、縮みにくくなるそうです。それはどういう事かと言うと、骨盤の緊張状態が続く事になるということで、それによって、生理不順だけでなくて、色々な体の不調に影響してくるというわけだ。
身体って・・・神秘ですよね。肺が呼吸しているみたいに、お尻だってそうやって呼吸しているのだ。
そのことに、気づいていってあげる事が、忙しい現代人にはとても必要な事だなあと思う。
薬でごまかしている体は、いつか必ずくじいてしまう時が来るのだろう。
だけど、そういう時こそ、身体を調整して立て直すまたとない機会なんですよね。
それは、身体だけに関わらず、人生でもそうなんじゃないでしょうか。
不調なとき、不安な時こそ、じっくりと自分を見つめられるチャンスで、ついていないわ!と、自暴自棄にならないで、ちょっと客観視するくらい突き放して、自分の事を見つめてみると・・・それは忍耐も必要となってくるけれど・・・案外、楽しめるものです。
自分の身体、心、持っているものこそが、最大の実験現場なのだと思う。ここに、自分の人生に必要な宝物がわんさか詰まっているのだ。見つけようと思えば、いくらだって見つけられるのだろう。
無駄な時間など、一秒たりともないのだ。
というのは、最近特に思う事だ。
それは、忙しいこの東京で、あまりにも時間の無駄をしない事に、疑問を感じて思った事だ。
「いかに、時間の無駄をなくす」ということが、いい事だと思い過ぎているのじゃないかしら?と思う。
無駄に思える時間を楽しめなくなったら、この世の中は本当に、イライラする事だらけのつまらない世界に見えるのじゃないだろうか。
それに、「あれは、無駄な時間だった」と、嘆いている時間、いらついている時間の方が無駄なんじゃないかしら?と思う。更に言えば、そういう嘆く時間があったからこそ、そういう時間がいかに無駄だったと思えるわけだから、その時間も無駄ではないのだ。
物事の、底辺にぶつかった時、そこにいかに光を見いだしていけるかということが、人生の醍醐味であると思っています。
それは、逃避とは違うのだ。だけど、ある時期、逃避したっていいのだと思う。
その人にとって、もっと言えば、その人の身体にとって、そうした方がより世界に大きく開いて行けるのだろうから。
人の身体が、ひとりひとり違うということは、その人の哲学もひとりひとり違ってくるのだ。治療方法は、人の数だけあるのだろう。そういうことを、それぞれが真剣に、のびのびと哲学していけば、もっと世界は豊かになるだろうと思う。
哲学や身体は人の数だけあって違うのだけれど、共通している大切な事は、ごくシンプルな事なのだと思う。
矛盾に聞こえるだろうか?
でも、このシンプルな事と複雑な部分の矛盾を、「どうしてそうなんだろう??」と、疑問を持って、自分自身、時には人間同士、自然とだって、ぶつかりあっていく事が、生きる喜びなんじゃないななあと思う。
疑問を持たない人生なんて、つまらないだろうなあと思う。
だって、疑問も何にもないのならば、もう人間に生まれてくる必要などないだろうから。疑問を持つことがない人は、きっとそれにぶち当たるまで、何度でも生まれかわってくるのだろうと思う。
疑問を持つこと、そこまでだって、長い長い旅路なのかもしれないなあと、最近はよく思う。
あかちゃんから大人になるまでの、身体や意識の変化は、魂の縮図でもあって、どんなに立派な大人に見える人だって、魂からしてみたら、あかちゃんの場合だってあるのだろう。
だから、年齢を越えた、他人への敬意というのは忘れてはいけないなあと思うし、そう思えば、イライラする出来事にも、優しくなれるのではないでしょうか?
自分の方が、多く気がついていると思った時、親があかちゃんを無条件で愛するように、その人のことを包み込んでしまえばいい。
敵と思える人こそ、自分にとって最良の宝なのだろう。
一番、イライラする原因に対峙した時に、リラックスできたなら・・・身体が自然にゆるみ縮む事が出来たなら・・・きっと世界はぐっと大きく自由に広がっていくだろうと思う。
これは、多くの人にとって、とても難しい事だろうけれど、人生には、その気になれば、無数に越えるべき面白い壁が沢山あるんだろうなあと思う。
誤解してほしくないのは、無理矢理、イライラする原因を作る必要があるのではなくて、そういうものと対峙するしかない場面に直面した時に、どうやってそれとつき合っていくかということだ。
そういった事に、うまく、気がついていけるようになると、心がのびのびと呼吸をしているのが分かるようになると同時に、身体の豊かな変化が実感できるようになると思う。
そういう喜びは、何にも変えられない、気持ちのいい体験じゃないでしょうか。
私は、あらゆる壁にぶち当たって、とても辛い別れがいくつかあって、色々な哀しみとも直面して来たけれど、もう何も光が見えなくなった事もあったけど、今は、とても光に包まれていると実感している。難題は、生きている限り、消える事はないだろうけれど、どんな時も、光を見失わないでいこうと思う。
最悪の事が起きている瞬間だって、これこそ、最良の経験だわ!って思えるようになりたいと思う。
人生って、やっぱり素晴らしいなあって思うから。
この、地球に生まれて来る事が出来て、本当に良かったと思う。
昨年までの間に、あらゆる、素晴らしい本との出会いがあった。今まで出会ってきたものとも、より深く出会えたと実感している。
心のことを突き詰めていくと、もちろん、行動することが重要になってくるわけで、そういうことを考えていくうちに、自然と身体への色々なアプローチについて知らない事、足りない事が沢山あるなあと感じてくるわけで、そんな時に素晴らしいものとの出会いがあった。
ヨガは、その中でも素晴しいのだけれど、とりわけ昨年感動したのは、他者との関わりという点を考えていた時に出会ったハワイのロミロミと、片山先生の本だろうなあと思う。
こうやって私が日々考えたりしている事は、岡本太郎という言葉で全て説明がついてしまうのだけど、それだけ、彼が岡本太郎として生きた生涯は、尊いなあと思う。
そして、常に思うのが、尊いものは、尊ぶだけでは駄目だと言う事だ。
小さきものは、小さきものなりに、今この瞬間を精一杯楽しむ事が、面白がっていくだけだ。
生命の神秘は、きらめきは、いつだって望めば近づいてきてくれる。
だってね、もともと持っているものなんだから。
さて、恐い夢の話に話を戻すと・・・
何しろ、このお正月、生理一日めから、睡眠時間もままならず、身体を酷使した。でも、精神的にはとても楽しい3日間だったけれど、問題の4日目にあたる時、仕事に戻ると言う憂鬱と思ってしまうようなストレスがあった。それが、大きく身体に作用したんだろうなあと思う。
からだが緩む時期は、テンションが下がる時期。そういう時に、テンションがあがるような事があると、バランスを崩しちゃうんですね。実は、自分でもビックリするくらい鬱っぽい気持ちになった。
でも、そんな時程、「へえ〜、なんでだろう?」と、辛いなあと思いつつも、片山先生の本を開いて自分の身体を観察したら、なるほどなあ〜、骨盤が緩む時期にそうとう頑張り過ぎたせいだなあと思った。
だから、とても面白い経験だった。本当に、4日目って重要なんだなあって。
身体の事を知れば、闇雲に悩まなくてすむ。思わず無理をしちゃって、心身共に辛いなあと感じて、倒れそうになったって、ああ、そういうことだったのかって思えるだけでも、リラックスへの糸口になるものだ。
気がつく事で、ふっといい気がまわって、思いがけず楽しい時間が過ごせたりするもの。
この東京という街は、簡単に、間違った方向へシフトしがちな街だと思う。
強烈に魅力的なエネルギーに満ちているからこそ、強烈に人々のエネルギーが集まっているからこそ、流されていては、あっという間に自分を見失ってしまうのだろう。
どうか、「KY」とか、つまんない事言っていないで、自分を読んでいってほしいものです。
自分を知る事は、他を知る事だと思うんです。
他ばかり気にしていたら、一向に自分の中の宝物に気がつけません。
自分の中に宝物を見つけようとしない人は、いくら空気を読んだって、成長できないと、私は思います。
空気を読めなくたって、いいと言ってしまうけれど、きっと社会生活はそれじゃあうまく行けない事もあるでしょう。哀しいくらいに、空気を読めるようになっているなあと感じたら、読んだ上で、それを打ち破っていくくらいじゃないと、人生は閉じてしまうと思う。
人生は、かってに生きるという意味ではなくて、真に自由でなくてはいけない。そのために、そういった窮屈な社会や「KY」のようなくだらない価値観があるのだろう。
多くの制約の中でこそ、自由に生きていこう。
難しいね。
でも、難しいことも、越えていけば、とても簡単に思えるものだろう。
まずは、大きな夢を見る前に、他人をどうこう言う前に、自分を越える事から始めなければいけないのだ。
精神はともかく、身体は、正直だから。
シンプルに見つめたいならば、まずは身体と向き合ってみたらいいと思う。
愛する人の、不調なとき、お腹に触ってみたりするだけで、色々な事がぐっと聞こえてくるかもしれません。
または、自分の身体を優しく触って、耳を傾ければ、簡単に駄目な所が見えて、笑っちゃうくらいシンプルでなかなか変えられない自分の芯に出会って、感動するでしょう。
大切なことは、治すことじゃなくて、とことんそんな自分を受け入れて、つき合っていく事、愛する人を始めとして、他者をありのままに受け入れ、つき合っていく事。
そして、そこにあるのは、愛と感謝の心じゃないでしょうか。
今、この瞬間、おこっている事は、どんなに酷い事だって、
私にとって、あなたにとって、最善であるという事に、
「ありがとう!」と言える日々でありますように!!
飛躍したいならば、その種を生み出すのは、
それは、私の、あなたの、内側にある。
それは、作り出さなければ、一向に芽が開かないという事を、
忘れないで、生きていこう。
無駄と思える時間こそ、にっこり見つめよう。
Aloha
love,
Ryoco
追記:
そんな怖い夢を見た日、思いがけず、クミちゃんとあつむ君に会い、新年の乾杯をして、楽しい時間が過ごせた。
代々木公園近くにあるLIFEでフルボトルワインサービス券があったのだけど、ワインが好きな人の顔が浮かんでこなかったので、声をかけてみたら駆けつけてくれたのだった。
フットワークが軽いって素晴らしいな〜って感動!自転車で行き来できるって素敵だ〜
前菜も、ピザもパスタもおいしくって、デザートもおいしかったし・・・大満足でした。
そして、なによりも楽しかった〜
とっても大好きなお二人さん、今年も、よろしくお願いいたします!
おいしい林檎もありがとう!
そろそろ、お正月気分も過ぎたころでしょうか?
お休みなんて、あっという間、今年も始まってから5日経ってしまいました。
私は、4日からお仕事が始まっているけれど、今年は10連休ぐらいあった方も多かったのではないでしょうか?
いつも、年賀状のお返事を書くのは、3日を過ぎた後くらいになってしまうのですが、年賀状をいただいた方、到着までもう暫くお待ちください・・・!
年末年始は、実家へ帰っていたのですが、見事に姪のはっちゃん三昧でした。
すっかり、気に入られてしまって、こちらへ戻ってきてからも、夜になると「ねぇね!」と、電話をしたがるみたいで、弟の携帯から着信がある。
出られなかった時は、とても残念だけれど、この前出た時は、電話のこちら側からでも、成長が分かる感じがした。
毎日会っていて思ったけど、本当に毎日驚く程成長しているのだ。
電話の向こうの小さなはっちゃんと、言葉で意思の疎通が少しでも出来るのはとても嬉しい。忘れられないうちに、また会いに行かないとなあ!としみじみ思った。
はっちゃんは、どんなに楽しく一日遊んでいても、自分の家に帰るのは嫌じゃないみたいで、去り際が何とも良くてビックリした。帰るモードになると、「バイバイ!おうも〜(どうも〜)!」と何度も言って、手を振って元気に去って行く。その姿が何とも面白かった。
それにしても、1歳半を過ぎると、こんなにも色々出来るのかと思う位だったなあ。
記憶力ももの凄くて、なんでも真似をして覚えてしまう。
それに加えて、やっぱり赤ちゃんって言うのは、本来持っている性格というのものをある程度持って生まれてきているとしか思えないと感じた。どう考えても、パパ・ママをはじめ、周りの人たちの影響だけじゃないだろうなあと思える性格があるからだ。
はっちゃんの中にある、世話好きという性格が、なんとも面白い。自分が世話される立場にあるにも関わらず、大人の世話をせっせとしていた。特に、食事なんか、自分が食べて、それを、相手にも食べさせて・・・と、常に分け合う精神があって感心した。
あと、自分のために大切にとっておいたお気に入りのミッキーのかまぼこたちを、まずひとつ私のお茶碗の上に乗せたので、「ありがとう!」と言ったら、次々と乗せてくれるので、「いいよいいよ、もういいよ!」と言ったら、首を振って、あれはまるで、「いえいえ、いっぱい遊んでもらっているから、食べてください!」と言っているような目つきで、私に箸まで持たせて、食べろ食べろと促してきた。
それを見て、みんなで笑ったら、はっちゃんはもう最高に楽しかったみたいで、あはははは〜!!と、かわいい声で精一杯息を吸って豪快に笑い、止まらなくなってしまって、家族全員が、転がるくらい笑い倒した。
あれが、私たちの初笑いだったなあ。
なんて言うか、まだ1歳だけど、大好きな人たちの幸せが自分の幸せなんだっていうのが、滲み出ているのだ。
私自身は、お正月早々、月のものが始まって、かなり体力的には大変だったのだけど、もう本当にクタクタになるくらいはっちゃんと遊び倒したのは、いい経験だった。(はっちゃんママのおばあさんが亡くなられたので、日中はずっと預かっていたのだ)
もう本当に、1日の夜は電池が切れたようにパタッと倒れてしまったもの!
やっぱり、母親って凄いなあと思った。
急に眠くなって、泣きはじめて、必死に私にしがみついて抱っこをしてもらいたがって離れようとしなかったときなんかは、少し、キュンとしてしまった。
ああ。はっちゃんの面白いエピソードはもう本当に山のようにあって、それを書いていったら、きりがなくなりそうなので、これくらいに・・・!
さて。
カウントダウンは、いつものごとく、やまごんと。(とは言え、昨年は各々年越ししてから会って初日の出を見に行ったのだけど)
今年は、初二人きりだった。アユミがもう本当に久々に来たがっていたのだけど、風邪がどうにもこうにも悪化してしまったようだった。31日に熱があがってしまっていると言う、かわいそうなアユミ。これも、お母さん故の大変さだなあと思った。
また絶対に会おうね!!
とりわけ、地元のお店を知らない私たちは、適当な居酒屋に入り、乾杯(私は車だったのでジュース)した。それにしても、車を降りた時の空がきれいだった事!
三日月も綺麗だし、星が沢山見えた。冬は、空気も澄んでいるから、更によく見えるのだろう。
色々な場所で、年越しをしているけれど(ファミリーレストランっていう年もあったなあ)、今回の居酒屋では、ひとテーブルごとに祝い酒が振る舞われた。
そして、1時くらいに、コーヒーでも飲みにいこうと、近くのスターバックスに行ったら・・・お店に入るなり、「りょうちゃん!」と、これまた懐かしい人と再会してしまった。
昔、アルバイトでお世話になった方。私よりずっとずっと年下であるけれど、先輩。
なんと、店長をされているそうで、それにもビックリした!スバラシイ!
「明日は、9時出なの〜!」と、2時前に帰っていかれた。
ドライブスルーがあるからか、閉店時間が2時なのですが、そんなスターバックスって凄い貴重だなあ〜と思った。年末だからか、お客さんも深夜にも関わらず結構いた。
そして、いつものごとく、何を話していたのか・・・やまごんといるとあ〜〜っという間に、時間は過ぎ、今年もしっかり2008年を迎えられた所で、解散!
いつもいつも、ありがとう!今年もよろしくね〜!やまごん。
実家に帰ると、両親のメモが・・・どうやら、初日の出を見に行く事にしたようだ。
というわけで、急いで布団に入り、少しだけ眠った。
それから、とっても寒い中、支度をして、出掛けた。
「もうお日様があがっちゃうんじゃない?」と言いながら目的地を目指す、のんびり家族。完全に、こういうイベントごとに慣れていない私たち・・・
目的地に着いたら、車が止められない程人が集まっていた。
みんな・・・初日の出が見たいんだねえ!
そこにいる人たちみんなで、日の光を浴びて喜ぶって言うのは、なんともいい光景だなあと思った。
どんなに便利な世の中になっても、人は、自然の力を感じていないと駄目になってしまうと思う。太陽の光を浴びるというのは、どんな場所でも接する事の出来る自然との対峙だものね。
そういう小さな喜びを、日々、忘れてはいけないなあと思う。
そして、その足で、近くの成田山・・・ではなく、芝山仁王尊というお寺に行った。
何でも、本来は成田山ではなくこちらがメインになる筈だったとかのお寺・・・とても、静かで素朴な雰囲気がとてもいいお寺。
おみくじは・・・なんと親子揃って大吉!!
成田山では考えられないくらいすいていて、とても静かに、穏やかに初詣が出来たので、とてもよかった。
思いがけず、初詣もすんでしまって、清々しい気持ちで家路についた。
それからその日は・・・夜まで眠らなかった!
おせち料理に、鼻をクンクンさせたり、ピカピカのお天気に気持ちよさそうにしている我が家の猫たちを癒し癒されながら、はっちゃんがやってくるまでのつかの間の、のんびりしたお正月を過ごしました。
3日、帰りに、Mieと、ちーちゃんのお家に寄って来れたのも嬉しかった。
ちーちゃんのお腹には、しっかり二人めの命が息づいていた!なんとも・・・生命の不思議だわ!!
むすこクンは、はっちゃんと同じ歳。ガールズトークもあるなか、母業の大変さとか、結婚してからの話とかにも及ぶ辺りが、私たちもすっかり大人なんだなあと感じた。(私たちは高校生からの仲)
ここでの話で、色々と感じた事があったのだけどそれはまたの機会にお話しできたらなあと思います。
そんなこんなで、自分時間が殆どなかったと言っていい程の、お正月だったけど、とても楽しかった。
2日は、はっちゃんママがいないので、弟とはっちゃんと私で、ショッピングセンターに行ったりと、プチ・お手伝いが出来たのもいい経験でした。
あっこちゃんは、大好きなおばあちゃんが亡くなって、哀しみに暮れたお正月だったけど、早く元気になるといいな。でも、最後に一目会えて嬉しかった。
ひとまず、年末年始の近況でした!
自分の事は、追々これから考えましょう・・・!(笑)
こんな私ですが、どうぞ、今年もよろしくお願いいたします!!
みなさんの、一年が、健康で喜びに満ちていることをお祈りいたします。
私たちの身におこる全ての事は、そのときの最善である、という事を見つめられる目を忘れずに。
そこにあるメッセージに、耳を傾けていこう。
どんな時間も、無駄な事など何もない。
Aloha
love,
Ryoco
今日は、もう雨は降らないでしょう〜
なんて、ラジオで言っていたのに、まんまと降られてしまって、びしょびしょになって帰ってきました。
こんばんは。
暖かい夜を過ごしていますか?
普段、なかなかお掃除できない部分を綺麗にするのって、気持ちがいい。
そして・・・掃除って、夢中になって行くうちに思ったんだけど、瞑想みたいな感じになりますね。
色々と、見えてきたり、ざわついていた心が静かになって行ったり。
というわけで、とても充実している大掃除。
でも、ここへ引っ越してきた時に、ものを増やすまい!と思っていたのに、やっぱりこれでも抑えているにしても・・・増えたなあ。やっぱり本類が・・・!
明日は、もうちょっと頑張って、すっきりさせる予定です。
晴れるといいなあ〜!
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人には、それぞれペースがあって、それぞれの道がある。
だけど、私たちは、同じ地球に生まれてきた。
そして、その土地土地で、人間が創りあげてきた社会の中で生きて行く。
それは、なんて不思議な事なんだろう。
もっと違う方法があったっていいだろうに。
でも、そうじゃない。
今この瞬間がすべて。
たくさんの小さな幸せの瞬間にであうと、
切なくなるのは何故だろう。
孤独な魂が、あたためあっている小さい営み
それがとわに続かないとしても
とわに続かないからこそ
抱きしめたいのだろう
腕がなくても
愛するほかに、何にもなくても
抱きしめたいのだろう
私たちの足の下には
マグマが今も熱く流れていて、
頭の上には、
まだ私たちが把握しきれない程広い
宇宙が広がっている
星が、瞬いている
ていねいにあいしていこう
このからだを
このキッチンを
このバスルームを
この床を
この窓を
ていねいにあしていこう
このこころを
この言葉を
この歌を
この風景を
この風を
ていねいにあいしていこう
人間を
目を瞑り
耳をすまして
きこえるでしょう?
あいのうたが
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来年は、しっかり地に足をつけて、
ていねいに生活していきたいと思っています
のびやかに、いきいきと
笑顔を忘れないように
何千年も、そこに立っている木は孤独なのだろうか?
あんなに、いきいきと枝葉を延ばし、
気持ちよさそうに風に吹かれているけれど、孤独なのだろか?
嵐の日も、寒い日も、暑い日も、そこに立っている木は、
孤独に違いない
いえ、それは違うんだよ、と、
いつも、木は私に語りかけてくれているようだ
そんな風に、ずっと語りかけてくれているようだ
古い木は、
きっとずっと語りかけてくれれているんだ
わたしのように生きてごらん!って。
そうだね。
誰も見ていなくても、
誰になんて言われようと、
誰に抱きしめられなくても、
のびやかに両手を広げて、
命を輝かせればいいんだ
走り続けた私を
深い闇に落ちてしまった私を
見守ってくれていた天使に感謝して
ここに、ともに在る
すべてのものたちを、
ていねいに見つめ、
みみをすませ、
愛していこう。
始まった瞬間に、
終っている
このかけがえのない時を
旅していこう
愛をたずさえ
祈りながら
光は、
いつでも強く願えば
手のひらの中にある
Aloha
love,
Ryoco
追記:夜は、やまごんとの忘年会がなくなったと思ったら、
突然のお誘いがあり、新宿でプチ・忘年会。
みんな、幸せで、元気そうで何よりだった。
来年は、彼氏つくらないんですか?と、聞かれたのが心に残る。